転機が遂に遂に来ました。それは友人からの誘いの電話でした
その友人とは昔一緒の会社に勤めていました
私が19歳、その友人も19歳ステンレスの研磨の会社でした
そこに何年かな?在籍したのは5年位で私が先に退社して
その友人は最後までいました。
実は私が退社して2年後位に
その会社が倒産してしまったのです
その友人は倒産の整理迄させられて何か月後には彼は独立したのです
取引先の定盤と言う分厚い鉄の平板を借り、その上で手摺とかを
製作しておりました。私は退社してどうしてたかと言いますと
従兄弟を頼って県外でサッシ会社に取り付け要因として就職してた
のですが、私も長男ですし1年位で地元に戻って来て電動工具の
外資系の会社に就職したのです。
26歳になっていました
それで友人とも、チョコチョコ会っていましたので、友人が、いよいよ
自分の工場を持ちたいと言う事で私に暇が有れば、不動産屋で小さな
工場を探して来てくれないかとの依頼が私にあり、早速行動に移って
事務所を見つけて来たと云う経緯が有ります
それから彼はドンドン仕事も増えもうソロソロ50周年に近いと思いますが
工場も4軒位作り従業員も30人位抱えた企業の社長に成りあがって来たのです
その彼からお前の工場を借りてウチから仕事を出すからやらないか?っと言う
イントロが可成り長くなりましたが
「 転機が遂に遂に来ました。それは友人からの誘いの電話でした」に続くのです
その誘いに飛び乗り、息子と一緒に仕事を始めましたが1年もしない内に
息子も辞め、私一人になった為に彼の会社の下請け会社見たいな状態で
10年位仕事をさせてもらい、丁度70歳になった時点で退社して今に
至っている訳なのですが、その友人から声を掛けてもらわなかったらと
どうなっていたのだろう?多分、持ってたマンションも売り妻や
3人の子供達と細々と生活していたのではないかと思います
お陰様でその友人とは未だに 行き来していますが足を向けて寝れない程
感謝しております。今は家族共々幸せで孫も5人おり楽しい余生を
過ごしていると言う幸せもんの人生を送っております
ハッキリ言える事は一生懸命前に進んでいたら必ず灯が見えて来る
って事ではないでしょうか?
ドリス・デイのケッセラセラの歌、日本では江利チエミが歌ったのかな?
「なるようになる 」良い言葉です
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